新聞を読んでいたら、江戸川乱歩のD坂の殺人事件の記事が目を引いた。懐かしいミステリーだ。幻想推理小説と言われる作家たちの言葉は一種独特なものがある。「賢明な読者諸君ならばお分かりだろうが」とか出てくる、あれである。でも僕は一度たりとも「賢明な読者」になれた試しがないのだけれど。頭文字が多いのも特徴だ。実はD坂は「団子坂」であったりする。K市とかS研とか言うと、なんだかそれだけで殺人事件が起こりそうな感じである。不謹慎だなぁ。
今も昔も、世の中には犯罪があふれる。皆は犯人の動機を探ろうとする。でも、誰かが斜めを向いて言う。動機なんてもんは、警察やマスコミが犯人とともに造り上げる幻想だ。それを知って大衆が安心する、共同幻想のようなものだ、と。 ヒトは理解できないものを排除して、理解できる物事で社会を構築していく。そうやって、法や常識がつくられていく。そんな社会の中で、僕たちが出来ることは果たしてなんだろう?この社会で安住する道を選ぶことか?それとも?




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