今日は地蔵盆だったらしい。子供のためのお祭りのはずだが、近所の広場では「ずんずんずんどこ♪」との音楽に合わせて、大人が踊っている。子供は子供でジュースをかっくらう。この地蔵盆というお祭りには、京都に9年住んでいても溶け込むことができない。なぜなら地域に根ざす町内会の祭りだからだ。まるで町内で執り行うことで、閉鎖的地域社会の結束を高めているようでもある(言い過ぎか・・・)。関東にはこの風習はなく、当然関東から来たヨソ者がほいっと入れるような感じではない。京都には至る所に石地蔵が奉られてあって、学部生の頃などはこの地蔵のフィールドマップを作ってやろうと思ったこともあったけど、ものの見事に挫折した。なにしろ数が尋常ではない。日産のショーウィンドウの横、僕のアパートの下。ありとあらゆるところに鎮座している。そしてその周りはゴミなど1つもなく、とてもきれいだ。結界である。おじいさんおばあさんは毎朝この地蔵に向かってお祈りをしていく。孫の無病息災、あるいは町内の平安、あるいは腰痛の具合。お地蔵さんのパワーはせいぜい1kmぐらいだろう。だから町内毎にある。一種の地域信仰だ。ヨソ者は帰れ。そう言われてるような気がして、いつもそそくさと地蔵さんの前を通る。京都には外向きにかかる力が至る所に存在しているのだ。グルグルと回転しているのかもしれない、過去と現在と未来を。



回転と進化