「読むなら文学にしろ」と高校時代に誰かが言った。例えるならサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」のブックカバーを郷ひろみの「ダディ」にかぶせて読んでいるような、猫をかぶるモードであった僕に、その言葉はガツンと響いた。問題なのは「ダディ」が文学かどうかなのではなく、もちろん「不倫は文化」かどうかではなく、本というメディアに対するスタンスの問題だ。「文学を読んで何になる?もっと社会経験を積んだほうがましだ」と大学時代の誰かが言った。果たして勝つのはどちらか?そんなこんなでまた朝が来る。「勝たなくてもいい、むしろ負けるほうを選ぶ」と酒に酔った僕がつぶやいた。

文学がこんなにわかっていいかしら

文学がこんなにわかっていいかしら